なぜ「沖縄」は世界遺産?その理由を3行で分かりやすく解説!

首里城 日本の世界遺産

「世界遺産ってなんか堅苦しい」
「世界遺産のタイトルも抽象的だし何がすごいのか良く分からない」
「解説を読んでもポイントが良く分からない」

この記事はそんな方に向けて書いています。

様々なサイトで世界遺産については説明されていますが、どのサイトも難しいです。
それは情報量が多すぎて、事前知識がないと理解しづらいからです。

この記事では、国内23の世界遺産を制覇し年間50回以上国内を旅行する筆者が、簡単に理解したいという方のために世界遺産に登録された理由をたった3行で分かりやすくシンプルに解説します。

世界遺産に登録された理由を理解すると、旅先での見方は変わります。
それは世界遺産への登録理由こそが「他の観光地とは一線を画す」理由だからです。

世界遺産の概要を理解して、ぜひ現地に足を運んでみましょう。

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「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、日本とアジアを結び栄えた琉球王国の歴史を象徴する

首里城守礼門

[登録年]:2000年
[所在地]:沖縄県国頭郡くにがみぐん今帰仁村なきじんそん中頭郡なかがみぐん読谷村よみたんそん北中城村きたなかぐすくそん中城村なかぐすくそん、うるま市、那覇市、南城市なんじょうし
[登録区分]:文化遺産
[登録名称]:琉球王国のグスク及び関連遺産群

沖縄にはかつて琉球王国がありました。1429年に琉球王国が誕生してから1879年に沖縄県になるまでのおよそ450年、諸外国と盛んに交易し独自に発展してきました。

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、日本とアジアを結び栄えた琉球王国の歴史を象徴する世界遺産です。

《グスクとは??》
沖縄地方に多数存在する遺跡。
城のような造りであるが、戦いに備えた建物だけではなく礼拝所のような建物も多い。

《世界遺産登録》

  • 今帰仁城跡なきじんじょうあと
  • 勝連城跡かつれんじょうあと
  • 中城城跡なかぐすくじょうあと
  • 斎場御嶽せいふぁうたき
  • 識名園しきなえん
  • 園比屋武御嶽石門そのひゃんうたきいしもん
  • 玉陵たまうどぅん
  • 首里城跡しゅりじょうあと
  • 座喜味城跡ざきみじょうあと

沖縄が世界遺産に登録されている3つの理由

ポイント

沖縄の文化財が世界遺産に登録されている3つの理由を紹介します。

世界遺産登録理由
  1. 琉球王国のように日本、中国、東南アジアとの交流で築かれた独自の文化は日本の遺産としては他に例がないから
  2. グスクや関連遺産群は琉球王国の失われた文化をあらわす貴重な遺跡であるから
  3. 斎場御嶽せいふぁうたき玉陵たまうどぅんなど、琉球王国独自の自然・祖先崇拝的な信仰の歴史が分かるから

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産

一つの世界遺産にはいくつかの建築物が登録されている場合があり、それを「構成資産」と言います。
琉球王国のグスク及び関連遺産群は合計9の構成資産から成り立っています。

ほとんどが戦争で全壊してしまったので、これまで首里城跡しゅりじょうあと識名園しきなえんしか建物らしきものがありませんでした。
その首里城も令和元年の火災で建物が全焼してしまったので、構成資産で建物があるのは識名園しきなえんのみで、他は城門や石垣しか残っていません。

また歴史の詳細が不明でいったい誰が造ったのか分かっていない場所もあります。
現地に行くと分かりますが、どこにいっても石垣などの基礎部分ばかりです。

しかし遺跡を見ることで、かつて日本版三国志とも呼ばれる三山時代があったことを肌で感じることができます。

《三山時代とは??》
琉球王国以前は、有力な豪族が北山、中山、南山と3つの国に分かれ、争いを繰り広げていた。

今帰仁城跡(なきじんじょうあと)

今帰仁城跡
  • 13~17世紀に使用された
  • 三山時代に北を制した北山王のグスク
  • 城壁の石垣などの築城技術が高い
  • 1500mもの長く美しい城壁が続き沖縄版万里の長城とも称される
  • 晴れた日には与論島を一望できる

勝連城跡(かつれんじょうあと)

勝連城跡
  • 13~16世紀に使用された
  • 三国が統一される時に琉球王国と最後まで争った按司あじ阿麻和利あまわりが築いたグスク
  • 城壁の石垣などの築城技術が高い
  • 切り立った岩山の上に築城されている

中城城跡(なかぐすくじょうあと)

中城城跡
  • 15~20世紀に使用された
  • 乱世の「三山時代」に活躍し、琉球王国が統一された後は国の安定に尽力した名将・護佐丸ごさまるの居城であった
  • 石垣の約8割はもとのまま
  • 城壁の石垣などの築城技術が高い
  • 曲線を描く城壁が美しい
  • 標高160mの高台にあるお城
  • 江戸時代にペリー一行も訪問し、築城の技術に感心した

斎場御嶽(せいふぁうたき)

斎場御嶽
  • 琉球王国でももっとも大切にされた聖地
  • 重要な儀式が行われた

識名園(しきなえん)

識名園
  • 琉球王国の国王や王族のための別邸
  • 中国と日本の庭園の様式が融合している
  • 沖縄戦で壊滅し、1975年から20年ほどかけて現在の姿に復元された

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

園比屋武御嶽石門
  • 国王が外出する際に安全を祈った場所
  • 首里城跡しゅりじょうあとの守礼門の脇にある石門
  • 日本や中国の木造建築を石造りで真似している

玉陵(たまうどぅん)

玉陵
  • 1501年第二尚氏王朝の第三代・尚真王によって建てられた
  • 琉球王国の王族の墓で、自然の石を利用している

首里城跡(しゅりじょうあと)

首里城
  • 琉球王国の国王が代々住んだグスクで琉球王国の繁栄を物語る
  • 沖縄最大の木造建築
  • 行政機関および祭祀の場所でもあった
  • 1945年の沖縄戦で全焼したため1992年に復元された
  • 2019年の火災で正殿・北殿・南殿などが全焼
  • 世界遺産に登録されているのは城壁と建造物の基礎だけで、建物は登録されていない
  • 火災で建物が失われても、世界遺産の価値は損なわれない

座喜味城跡(ざきみじょうあと)

座喜味城跡
  • 15~16世紀にかけて使われた
  • 名将・護佐丸ごさまるによって築かれた城
  • 国王に対抗する勢力を監視する目的でつくられた
  • 石積みの精巧さや美しさは沖縄の城の中で随一と評価されている

3つの国が統一されて琉球王国が誕生した

12世紀後半から沖縄県の各地に「按司あじ」と呼ばれる豪族が現れるようになりました。

按司あじは自分たちの領地にグスクを築き拠点とします。

14世紀には有力な3人の按司あじが対立し、北山・中山・南山と3つの国に分かれます
いわゆる日本版三国志と言われる三山時代です。

1429年に中山の王・尚巴志しょうはしが南山と北山を滅ぼし島を統一することで、琉球王国が誕生しました。

琉球王国は独自の文化を発展させてきた

琉球王国の文化

琉球王国は海外に開かれた独立国でした。
交易を通じ独自の文化を発展させた琉球には自然や祖先を大切にする文化がありました。

諸外国との中継ぎ貿易で栄えた

三山時代のころから中国と貿易することで栄えました。

琉球の輸出品は主に硫黄・馬・織物類・貝殻類などでしたが、これだけでは中国の商品を買うには足りませんでした。

そこで栄えたのが「中継貿易」です。中継ぎ貿易とは、行きは少量の中国の商品を持って行き交易先で売り、帰りに空になった船に交易先の特産品を詰め込んで返ってくることで中国向けの輸出品を集める貿易のことです。

博多からは金・銀などの貴金属や日本刀、マラッカ(現在のマレーシア)からは象牙や香辛料を仕入れていた。

交易ルートは中国との貿易を中心に、日本・朝鮮・東南アジアなどに広がりました。

中国との強いつながりがあった

識名園

識名園しきなえんは中国皇帝の使者を迎えた王族の別邸です。

琉球王国では王が交代すると中国皇帝の承認を得るために中国から皇帝の使者を迎え、任命書や王冠を頂いていました。

琉球王国と中国の深いつながりを示す世界遺産です。

洗骨という特別な埋葬方法があった

玉陵

玉陵たまうどぅんは尚真王が歴代の王や王族を葬るお墓として建てたものです。

東室・中室・西室の3つの墓室があり、王族が亡くなると遺体は中室に安置されました。

数年間そのままにして骨だけになると骨を綺麗に洗って骨壺に入れる「洗骨」という儀式を行います。

洗った骨は東室もしくは西室に納めらました。

王や王妃の遺骨は東室に、それ以外の王族は西室に納骨された。

御嶽と呼ばれる聖地がたくさんある

斎場御嶽

古くから聖地とされている御嶽がたくさんあります。

中でも最も神聖な場所は斎場御嶽せいふぁうたきで、琉球の神話にも登場します。

琉球王国の神事を担当する神女の最高職「聞得大君きこえおおぎみ」の就任の儀式もここで行われました。

戦前まで男子禁制でした。

本土よりも早く発達した石積みの技術があった

グスクの石積み

グスクはかつて沖縄の島に300~500もありました。

今帰仁城なきじんじょうは琉球王国以前(13世紀末)に造られたグスクで、形の異なる自然石で積み上げる「野面積み」と呼ばれる石垣です。

日本で本格的に高い石垣の城が築かれた戦国時代よりも200年ほど前のことで、琉球王国には本土よりも早く石積みの技術が伝わっていました。

琉球王国から強制的に沖縄県になった

尚泰
最後の琉球国王 尚泰
引用元:wikipedia

独立国だった琉球王国はどのようにして沖縄県になったのでしょうか。

中継貿易によって繁栄した琉球王国は、江戸時代の1609年に薩摩藩に侵攻されて支配下に置かれます。
王国体制はそのままで、中国との交易も継続されました。

明治時代になると明治政府が琉球を日本に組み入れようとし、1897年に琉球藩とします。

尚泰しょうたいを藩の王に任命すると、1879年に琉球に軍隊を送り込み首里城の明け渡しを強制、琉球藩を廃止したことで沖縄県となります。

こうして琉球王国450年の歴史に幕を閉じました。

敗戦によってアメリカの領土になる

沖縄戦

現在でも沖縄にアメリカ軍の基地が多いのはなぜか、それは沖縄が経験してきた歴史を見ると分かります。

太平洋戦争で敗北した1945年から7年間、沖縄は日本本土とともにアメリカを中心とする連合国に占領されます。

1951年にサンフランシスコ講和条約が締結されると日本は独立しますが、沖縄は日本から切り離されアメリカの統治下のままでした。

1969年にアメリカとの話し合いの末、沖縄の日本への復帰が決定しましたが、この時の条件は「沖縄にある米軍の基地を残したままにする」ということでした。

こうして今も多くの米軍基地が沖縄に残ることとなったのです。日本にある米軍施設の74%が沖縄に集中しています。

沖縄は悲しい歴史の連続である

沖縄は悲しい歴史の連続

これまで見てきたように沖縄は悲しい歴史の連続でした。

  • 1609年に薩摩藩によって征服される
  • 1879年に琉球処分で沖縄県になる
  • 戦時中は日本の最前線として地上戦の戦場にされる
  • グスクに建てられていた建造物は沖縄戦ですべて全壊する
  • 戦後は長くアメリカ領となる
  • 日本復帰後もアメリカ軍基地が多数残る
  • 令和元年の首里城全焼

このように悲しい歴史を抱えていても、あの明るい県民性には驚かされます。
旅行先としても人気の沖縄ですが、これからは平和が続くことを祈るばかりです。

まとめ

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の紹介はいかがだったでしょうか。

簡単でもいいので世界遺産については絶対に登録理由を知ったほうがいいです。
それは世界遺産が「他の観光地とは一線を画す」からです。

この記事が、ちょっとでも目線が変わるお役に立てれば嬉しいです。

以上、<なぜ「沖縄」は世界遺産?その理由を3行で分かりやすく解説!>という話題でした。

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